ブログを書くようになってから、以前より色んなことを考えるようになりました。
きっかけは、ツイッターを始めた事も関係していて、、、
これに関しては、この記事から話が逸れまくるので、機会があればまた書きます。
会社員時代のことを思い出すのは、普段滅多とないのですが、
こないだ、ふと寝る前に、こんなことを思いました。
日本の皆様おはようございます。
— ブーブーキノコ (@bubukinokochan) July 25, 2019
金曜日の朝ですね。急に2年前の会社員時代を思い出しました。
一生懸命毎朝決まった時間に起きて、大体同じ電車に乗って、朝礼に駆け込む。
しかし2年前の今日は、会社退職の5日前でした。飛ぶ鳥跡を濁さずと、大忙しだった事を覚えています。
今は全く違う日々です。
2年前の今日まで、私は東京で働く会社員でした。
普段思い出すことは滅多とない、と言いましたが、
退職したのが自分の誕生月の月末なので、去年の誕生日の時も、1年前の会社員時代を思い出していました。
自分の今に疑問を持った時が、変わる時。
私が自分から”変わろう”と思って、行動に移し、”変えた” お話を書こうと思います。
(ほぼ、退職時の思い出話・・・?)
会社には、総合的に満足していた。
会社員の方も、フリーランスの方も、経営者の方、アルバイトの方、派遣の方・・・
働き方のスタイルはさておき、仕事を持つ皆さん。
皆さんは、今の職場に満足していますか。
って急に二択で質問されてもねぇ・・・
こういう極端な質問って、嫌いですね。
どっちを答えても相手の思うツボな話の展開される・・・
なんて、昔押し売り営業トークに引っかかったトラウマがある人みたいな思考は置いといて、
要は、
隣のおじさんが独り言うるさくてウザったいところもあるけど、しょうがないかな。
とか、
上司がいつも理不尽なことばっかり言ってくるけど、まぁ彼も彼で大変だろうし、しょうがないかな。
とか、
そう考えると、自分は満足しているんだな・・・って思ったり。
(まぁ、全部私のことですけれど。)
私もそんな、しょうがないかな、の盛り合わせで、総合的には満足していました。
こんなもんだろう(諦め)の寄せ集めで、特に希望も期待もなかったなぁ・・・。
本当だったら裁判沙汰なこともありましたが、それも日が経つにつれて、 ”諦めバケツ”の中に入っていきました。
そんなことも引っくるめて、それなりに楽しい会社員ライフをエンジョイしていました。
人間関係は、かなり良好だったと思います。
正直、やりたいよう〜にのびのびと働いていました。
退職を決意したきっかけ。
私は7月のだいたい末が誕生日です。
とある6月のほとんど末の日、35歳の誕生日を前にふと・・・
40歳になった時の自分を想像してみました。
…ら、
この会社に居たくないと心底 感じたので、退職を決意しました。
本当に勢いでした。
ここで35歳を迎えたら、後の5年も何気もなく今と同じことをしている、と思うとゾッとしました。
この会社で、もはや成長できる自分を想像できなくなっていたのです。
このままここで居心地よく仕事してても、何も変わらない!と思いました。
7月末で辞めなければいけない感に襲われていたかのように。
そして、退職届を・・・
退職は一ヶ月前までに会社に伝えなきゃいけないし、どうやって切り出そうかと思っていました。
ちょうど6月の最終金曜日に、それも突然、常務から飲みに誘われて、
チャーーーンス!!! と思い、急いで退職届を作成して、その時に渡しました。
もう一人、同じ部署の同僚と3人で飲んでたのですが、終始和やかに〜
「受け取らねえっ」「もう渡しましたっ」「俺みてないっ」「燃やしちゃおっか!」(焼き鳥屋のカウンター席)
もう最後は私の退職届、ぐしゃぐしゃ・・・・
こんな感じで、緊張感なくはじめの一歩を切り出せたのでよかったと思います。
そんな渡し方、非常識だと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、
会社が違えば、社内の常識も違う。 うちの会社はいいんです。
ぐしゃぐしゃになった退職届からその後・・・
翌月曜日には、常務と会社でちゃんと話し・・・と言っても、大した理由なく辞めるのですから、きっと常務もトンチンカンに思ったことでしょう。
今は満足していますが、ただ、
ここにずっと居てはいけない、と 私の第六感がそう言っているんです!
そんなことを本当に言ったかどうかはさておき、(きっと似たような感じのことは言ったんだと思います。)
私の退職届は無事受領されました。
その後、すぐに社長に呼ばれました。
社長室に入った時の社長の表情は今でも覚えています。
目をまん丸にして、「お前どうしたんだよぉ、辞めるんだって?」
(ちなみに私の前職は、社長秘書。簡単に言うと社内の自由人)
退職届が受理されてから。
それからの1ヶ月、社長室を訪れると、
「辞めないよな?」「辞めるの来年だっけ?」など、言われるたびに、私は清々しい気持ちになりました。
長いトンネルの中で、私の目には、遠くの方に 光 が確実に見えていたんです。
来年も半年後もダメ、今じゃなきゃダメなんです。
常務には、最後まで、
「ところでキノコ、なんで辞めんの?」 って何回も聞かれました。笑
ところで、、、
退職の日
女性社員だけ別部屋に集まってくれて、みんなウルウルモードだったのですが、
2週間前に入社した、なかなかキャラの濃いお姉さんがなぜか一歩前に立って、終始ニコニコしていたので、
全員ぎこちない雰囲気で、平和に終わりました 笑
それから2年経った今・・・
自力で何かを成し遂げました〜!とかあれば素晴らしい記事の終わりになったでしょうが、
そんなネタがなくてすみません・・・
退職から2年経った今、ドイツに住んでいます。
もちろん、今となっては私の主人である、オサルのサポートもあってのことです。
なるように、なる。
本当に、次何をしようか、何も決めずに辞めました。
だいぶ楽観的だったと思います。
心も身体も健康なあなた。
— ブーブーキノコ (@bubukinokochan) August 1, 2019
「なんとかなる」を勘違いしてはいけない。あなたを「なんとかする」ために、影で誰かが働いている場合がある。
「なるようになる。」あなたが尽力し、あとは結果を待つだけの状態。
心にゆとりを持たせる楽観主義には賛成ですが、私は常に後者を心に置きます。
退職を決めたあと、オサルが、
と言ってくれたことが、どんどん展開していって、
観光ビザでドイツに来たあと東京に戻り、その半年後には東京の部屋を引き払って、その1年後にはドイツで主婦です。
もちろん、会社を辞めてから今まで、私一人の行動の結果ではなく、周囲の支えあってこそですが、
なるように、なっています。
2年前に、「5年後もここに居たくない!」と強く思い行動した結果、
2年後の今は、ドイツに来て、あんなに毛嫌いしていたドイツ語も生活レベルで話せるようになっています。
迷っている時間はなかった。
なんの根拠もなかったけれど、私には明るい光しか見えなかった。
あの時思った”5年後の自分”まで、あと3年。
今は楽しみでしかありません。
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